渋谷風「割れ窓理論」と落書きの由来
まず今日のニュース記事で2つほど興味がある記事を紹介させて頂きます
コロナ自粛でも「落書き」あいつぐ 専門家「治安悪化の兆候の一つ」「迅速な対処を」
緊急事態宣言下に高円寺で路上宴会を開いた首謀者を直撃。「橋下や小池でなく安倍ちゃんがトップで良かった」!?
現在の渋谷が特に夜間の街が【ゴーストタウン】であるか体現する記事でもあるのが最初の「落書き」の記事内容を読んでも解るとおもいます
【割れ窓理論】と言えば年配層の言い分となるのは明白なのですが!
ぼくは【割れ窓理論】よりも「落書き」の【落書】たる由縁について若者層からのメッセージとして解釈も理解して貰いたいので420blogのタイトルにしています
【建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される】
最初にスタンスを明確にしておきます!
「建物」とは社会や経済や国であり
「窓」とは制度や環境や国策とする
「落書」『らくしょ』についての解釈は
中世から近世にかけて、政治・社会や人物(権力者)などに対し、批判や社会風刺を述べた匿名の文書のことで、人目につきやすい場所に落として人に拾わせるなどの手法で用いられた…
意図するメッセージに理由などあるでしょうか?
「割れ窓理論」を声高らかに年配層の皆さんが口をそろえて追いやった時
その層は『何かの意思表示に気づきますか?』
そして若者層の皆さんにも伝えたいのは「割れ窓理論」を主張する層に対してシャッターや壁にメッセージを表現するのは嫌味な老害を招くだけではないですか?
それには【共通の言語】で主義主張が相手に伝わる役目を果たしているでしょうか!
割れ窓理論とは次のような説である。
治安が悪化するまでには次のような経過をたどる
建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す
ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる
住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる
それがさらに環境を悪化させる
凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる
したがって、治安を回復させるには、一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)
警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する
地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する
Wikipediaの記事ですが…渋谷がニューヨークみたいな街並みになるのを両者(年配も若者も)望んで欲しくはないですね
【大人の街 渋谷】が本当に訪れる礎なのか?
それとも90年代の渋谷センター街に戻るのか?
皆さんが気づいた時に【理想と違った】【こんなのを望んでいたのでない】
そんな事を言い出しても一度…破壊から創造が始まるときには
それなりの痛みや血が流れる中で街に笑いが戻ってくるのは必然です
今、本気で「らくしょ」としてのメッセージを発信してほしい
『今の渋谷を導く』そんな気持ちの方向性を街のライターさんへ向け
420渋谷として発信させていただければと思います
二つめの記事についても同様と云うのは申し訳ないのですが
【TOKYO TRIBE】な時代がやってくる時にでも
渋谷の街を愛して!渋谷の街に集まる人たちを愛して
今後もサービスをつづけるスタンスの僕らとしては
隔たりの少ない笑いの多い街への未来像を願ってやみません
どんな状況でも個々のスキルを磨いて選択肢を増やしつづける事
何かの感銘を受けて行動することも良い事ですが
迎合するだけでなく一個人としての自分の可能性を常に
忘れず磨きつづけて欲しいし応援したいと心から願っています
確執を増やす事で誰が得をするのでしょうか?しっかり見据えましょう 420yama